年に一度のお手紙
お母さんへ
なんか不思議ですが、数えてみると
お母さんがいなくなって八年が経つみたい。
もうそんだけ経つと、顔はおぼろげ、声なんかすっかり忘れていて
ときどきメモがみつかったりして、ああ、こんな字やったなあ、くらいです。
記憶ってどんどん上書きされていくんやねえ。
いったいどうやって生きていけばいいかわからないくらい悲しかったのに、
今ではいないことが日常でまったく平気よ。
そう思うと、今みたいにスマホで写真や動画が残ってなくて
かえってよかったかも、と思ってしまいます。ごめん、そういわれるのって、いやかな?
病気がみつかって、手術するかしないかお母さん自身、迷い悩んでいるときに
私は仕事に必死で、やりたいことと日々の業務のギャップに戸惑って泣いてばっかりやった。
そんな私を特に慰めることも励ますこともなく、
「あんた、そんなに上手に涙流せるんやし、韓国いって女優に転職したら? ちょっと整形したらいけるでー」
とケラケラ指さして笑っててくれましたね。
ってなんでやねん! でもそのセンスにどれだけ救われたか。ありがとう。
「頭のバグダン、やっぱ切ることにしたわ」
お母さんの決心をきいたとき、自己チューな私もいよいよ現実として受け止めました。
うそやん! 失敗したらいやや、と抵抗しましたが
「こんなかわいい子置いて死ぬかいなー! あんたのお産の世話するまでは絶対死なへんし」
と決意は固かったね。
そして2か月後、手術プランを立てるために検査入院した2日目、
バクダンが破裂してそのまま逝ってしまいました。幕引き、はやすぎ。
着信19件、仕事に没頭してて気づかず、さいご間に合わなかった、なんてバカ娘や私は。
かけつけて初めて対面したとき、
「ちょっとー、びっくりするんやけど。言うてたのと違うやんか!」
一言も切り返してこないのが不自然で
病院の人がしてくれたお化粧も不自然で
すぐにロッカーからメイク道具だしていつもの顔に仕上げたらやっと私涙出てきて。
ボロボロ泣いてる私に、いまにもいつもの口調で
「あんた、韓国いって女優になったら?」って言いだしそうで笑えたわほんま。
そんな私も明日、お母さんが私を生んだ歳を迎えます。えらいこっちゃー。
顔も声も姿もほとんど忘れたけど、そういうしょうもないセリフだけはいろいろ覚えてます。
ごめん、ちょっとまだまだお産の世話してもらえそうにないけど、
あなたが私に注いだエネルギーだけは絶対に粗末にしません。
それと最近あんまり泣くことないから、韓国いっても女優になれそうにないことだけ、お伝えしときます。
はたぼう
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